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空念仏が満載の「農業振興地域整備計画案」

閲覧開始が遅れに遅れ、机上の空論ばかりとは…

満を持して閲覧に出したわけじゃないのね

12月19日に開始された札幌市による「農業振興地域整備計画案」の閲覧期間が1月17日に終了し、2月1日をもって15日間の異議申し立て期間も終了した。閲覧期間は土日や年末年始の休庁日を除くと17日間、告示日の翌々日である12月20日に市HPのみで閲覧開始が告知されたので、実質的には15日間しかなかった。
札幌市は当初、10月下旬に案を閲覧に供し12月中の計画決定を目指すとしていたが、市内の他地域にも農振指定に強力に反対する農地所有者がいて、調整に手間取っていたらしい。
なんだかんだと理由を付けて、年末年始の慌ただしい時期を狙ったように見えなくもないが、満を持して閲覧となったはずの計画案の内容といえば、拍子抜けするほど浅薄だった。

鼻クソほじりながらテキトーに書いたんじゃ…

計画案そのものは、平成23年2月に決定した現行計画の文言を整理し数値を修正したもので、大きな変更点としては平成26年度から全国でスタートした悪名高い「農地バンク」(農地中間管理事業)を盛り込んだ程度だという。
con8-1.JPGわが手稲前田地区については、どう文言整理がなされているのか調べてもらうと、農業上の土地利用の方向としては「今後も飼料畑を中心とした土地利用を推進する」から、「手稲前田地区周辺は、市民農園の利用率が高いため、今後は市民農園等の体験農園の整備を推進する」に変更されていた。
市民農園はすでに農振農用地内に2カ所、地域全体では4カ所もある。現状はどこも人気だが、これ以上増えれば需給バランスを崩す可能性もあるだろうし、開設者の1人に聞くと利用者の固定化・高齢化が進んでいるので、退職前の世代へのアピールや物販施設の併設といった需要喚起策を組み合わせなければ尻すぼみになる恐れがあるという。
だいたい、札幌市内にある民間市民農園は農地所有者が開設する農園利用方式しかない。滞在型市民農園の制度を使って、若い人向けの農林漁業体験民宿などを開こうとしても門前払いになるらしいので、どこまで本気なのか、需給予測など何もせず鼻クソをほじりながら適当に記載しただけなのか、全く計りかねるところだ。

写真=札幌市農政課の職員から「市民農園がこれ以上増えると供給過剰になる恐れが」と聞いたのは、確か昨秋だった気が…

整備計画に「もしかしたら」を入れる神経って

現行計画の「農業近代化施設の整備計画」は、唯一の対象だった酪農団地の廃業を受けて「良質粗飼料の安定生産を図るとともに、家畜ふん尿の堆肥化を促進するため、堆肥化施設・機械の整備を誘導する」から、「良質粗飼料の安定生産と家畜ふん尿堆肥の適正還元を図る」に変更されているが、これも理解に苦しむ。
地域の酪農家は数年後には廃農する1戸だけ。彼が地域の元農家や非農家の土地を管理しているのだが、1人で肥培管理をしっかりできるわけもなく、やっているのは施肥と刈り取りのみだ。育ったぶんを自家消費しているだけなので「良質粗飼料の安定生産」など望むべくもないし、「家畜ふん尿堆肥の適正還元」はすでにやっていることで、これ以上どうすることもできない。
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この文言の意味をフリーライターが農政課で聞いたところ、
「すでに実施されていると言われればその通りだが、新たな担い手がこの先に現れないとも限らないので…」
と整備計画と言いながら、あくまで「if=もしも」の内容であることを認めたそうだ。実施する可能性が極めて低い(ほぼゼロ)のであれば記載する必要はないように思うが、お役人様の頭の中がお花畑になって真っ当な判断がつかなくなっているのだろうか。

政治屋に翻弄されてきた手稲前田地区

計画案で憤慨したこととしては、ある古参の札幌市議に近いとされる農家(自ら耕作はしていないが)の自宅周辺の農地が、今回の見直しで農用地から除外される流れになっていることもある。
農政課によると、今回の除外は地権者の申請ではなく、札幌市農業委員会の自主的な判断によるもので、農政課も「農用地の縁辺部にある」ことから異議を唱えていないという。
手稲前田地域では、これまで多くの元農家・非農家が農振除外を求めてきたが、認められたことは1度としてない。地域には今回除外される農地に近い状況の土地がいくらもあるが、それらは完全にスルーしていることも気に入らない。
平成になって間もなく酪農団地の造成に前後して、この地区には古参市議の親分に当たる大物国会議員の有力後援者が、換地などの理由を付けて土地を取得していった。当時、地域農家から農地を買い叩いて宅地造成するらしいとの噂が飛び交い、実際に土地買収の動きもあったが、私が相場より高い価格で土地を買い取り地域社会の崩壊を防いだ過去がある。
その時に政治屋一味に土地を買わせていれば、あるいは手稲前田地区は立派な市街化区域になっていたのかもしれない。それらの検証は機会を改めるとするが、同じ地域に住みながらも「政治との距離」で資産に天地の開きができたことは、また事実なのだ。(つづく)

写真=計画案に適当な文言を書き連ねるのは勝手だが、できることとできないことがありますって…。