HOME > 私の信条

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蒔いたタネは必ず収穫する──。これが元農家である私の信条です。
昭和49年、札幌市は私が生まれ育った手稲前田地区に農振地域(農業振興地域の整備に関する法律=農振法に基づく農業振興地域)の網をかけました。減反政策に従って転作したものの収益が上がらず、子供たちは農業に見切りを付けて他所で就職してしまう。当時は札幌の都市化が急速に進んでいた時代です。後継者難で離農が進む地域農家の望みは宅地化による土地の売却でしたが、「(農振を)外したい時にはいつでも外せる」「井戸でも何でも要望があれば整備する」とウソ八百を並べて網の中に入れたのです。
そして、平成に入って突如浮上したのが酪農団地構想でした。1戸だけの酪農家が移転する「団地」に、札幌市が投じた税金は約9,200万円と聞いています。農振の網をかけられた後も何ら支援の手はなく、疲弊しきっていた地域農家をバカにしたような話です。さらに、国庫補助なども受けたことで20年間の営農を義務づけられた牧場の移転によって、宅地化の夢は20年以上先まで持ち越されてしまいました。
平成3年に移転してきた牧野牧場は、隣接する私の芝農場に大きな被害をもたらしました。盛り土して造成された6,000坪の牧場から垂れ流される糞尿や雨水、春先の雪解け水が、芝の生育を阻害したのです。高品質・高単価の芝づくりに専念してきた私は怒り心頭に発しました。
私は酪農団地の造成時から「宣伝カー」を走らせるなど、札幌市に対する抗議活動を展開してきましたが、全く埒が明きませんでした。行政訴訟も考えましたが、お上が相手では引き受けてくれる弁護士も見つかりません。
そこで私が採った手段が実力行使です。平成7年に自己所有の農地に倉庫を建てたのを皮切りに、これまで大小合わせ十数棟を建設。芝農場の一部を勝手に転用してパークゴルフ場もつくりました。
「文句があるなら訴えろ。司法の場でどちらの非が重いか白黒付けよう」──。
私の闘いは今も続いています。「悪法でも法は法」という人がいますが、私は認めません。失ったものは取り返さなくてはいけない。私がしてきたことは、家族と自分の生活を守るための正当防衛です。
今は企業経営から引退し第2の人生を過ごしていますが、今後も趣味でマジメに札幌市の悪行を追及していきます。このホームページは札幌市との闘いを記録として残し、広く社会に訴えていくために開設しました。
事実関係の取材・検証にはフリー記者の手を借りていますが、誤りがあれば訂正しますので連絡をお待ちしています。

平成29年2月1日