昭和55年〜
「諭吉モグラ」が顔を出した? 自宅移転の顛末
札幌市農業委員会(市農委)と敵対関係になったきっかけは、資料で経緯を紹介した酪農団地だ。しかし、市農委の田中個人への「敵視」を感じさせる出来事はほかにもあった。
平成2年6月16日に自宅移転のため市農委に提出した、北海道知事宛ての農地法4条申請が返却された件だ。
その端緒は昭和55年に遡る。当時の自宅の近接地にビニール工場が建ち、耐え難い悪臭をまき散らし始めた。周囲は札幌市による「線引き」以降は市街化調整区域となった土地で、そもそも工場の建設が許可されるはずがない。
そこで札幌市に調査を依頼したところ、「(環境)基準値以上の数字が出ている」とは言われたものの、工場はその後も変わった様子もなく稼働している。
1年中窓を開けられない生活。何ら是正措置が取られることもなく問題が放置されたため、自宅の老朽化もあって自宅の移転を考え始めたのだった。
写真=ビニール工場は建設されて36年が過ぎた今も残っている。業務は隣接する新工場(下)で行っている模様で、外壁のあちこちが壊れている。
酪農団地に反対する「宣伝カー」が原因?
平成2年、いよいよ自宅の移転新築に向けて動き出した。
3月2日には知己の地元農家から手稲前田574番地内の農地を分筆してもらい、2,500坪を購入。農地利用を前提とする3条申請で取得したのは、自宅用地以外は芝農場として利用するつもりだったからだ。
同地を自宅の移転先として選んだのは、前年の秋から造成が始まった酪農団地の目と鼻の先にあり、事業の進捗状況を把握するのにうってつけだということもあるが、何より私の芝農場に囲まれた場所(地図参照)だという理由が大きかった。ここなら、暴風雨の時も自宅に居ながら芝の状況を把握できる。
5月に事前相談を開始し、約400坪を自宅用地にすべく出入りの測量会社に依頼して4条申請を提出したが、札幌市農業委員会に受理されなかった。当時は酪農団地への反対運動を派手に展開しており、計画地に近い幹線道路に巨大な看板を建てたり、市役所や市幹部の自宅などの周囲に宣伝カーを走らせていたので、そうした事態はある程度予想できた。
そこで取引先の紹介で代理人になってもらったのが、札幌市の農業委員にも顔が利くという道庁OBで農政部経験者のF氏だ。5月に委任状を提出し、6月16日に改めて4条申請書を提出。今度は受理され安堵しかけたところ、ものの数日後に事態は急転。申請書が返却されたのだ。
代理人F氏は、「宣伝カーが(市幹部や農業委員の)心証を害している」と理由を語り、代理人報酬を全額返却してきた。それにしても、お役人様に反抗的であるとはいえ、自己所有地への農家住宅の建設を認めない嫌がらせに、私はひどく憤慨し怒りを新たにしたのだった。
写真=自宅の移転新築を申請した平成2年当時は、宣伝カーなどを使った酪農団地への反対運動を活発に行っていた。
地図=4条申請時は高級な芝の生産を手がける専業農家だった。最盛期には自己所有地・賃借地を合わせ約30町歩で芝を生産していた(黄色のアミかけ部分)。
四半世紀を経て判明した「真相」
長年にわたり、4条申請は不許可となり返却されたものと信じ込んできたが、2016年末にフリー記者の取材によって「真相」が判明した。
平成2年6月16日の3日後、同年6月19日に申請は代理人F氏によって取り下げられ、それに伴い提出書類が返却されていたのだった。
だが、私はこれまで代理人のF氏からはもちろん、札幌市農業委員会からも「取り下げ」について聞かされたことはない。
平成7年には抗議の意味を込め、自宅の建設予定地だった耕作放棄地に倉庫3棟を建てた。その際、札幌市長と市農業委員会会長の連名で利用状況に関する照会があったのを幸いと、書類を返却した理由を質している。
それに対する市農委会長の返答文(11月21日付け。資料参照)は、「この件につきましては、平成2年4月23日にお会いした際説明しており、また、同年5月9日の電話照会並びに同年9月14日にお会いした際にも回答したとおりであります。」というもの。
4月23日と5月9日の段階では4条申請を提出していないのだから、説明したとすれば何をどう話したというのか。だいたい、不許可にしたのではないのなら、返答文に「代理人が申請を取り下げたので、許可・不許可の判断をしていない」と事実経過をはっきりと書けば良かったのだ。真相を知った上で読み返すと、あえて濁した文面にしているように感じる。
現在、F氏の連絡先は不明で、所在が分かったとしても高齢のF氏を四半世紀以上前の件で問い詰めるつもりはない。だが、道庁OBのF氏は官公庁とのつながりをメシのタネにしていたはずで、何らかの見返りと引き換えに4条申請を勝手に取り下げたのではないだろうか。
でなければ、依頼者である私に無断で取下書を作成し提出しないだろうし、市農委も曖昧な表現を使ってF氏の独断を隠すような真似をする必要もない。
お役所に生息し、公共事業をエサに民間業者を誘惑したり折伏したりすると噂される「諭吉モグラ」に、F氏も魅入られてしまったのではないか…。
三部英二農政部長の勇退で「真相公開」に?
フリー記者の取材によると、旧自宅近くのビニール工場は昭和55年に違法建築物として都市計画法に基づく除却命令を受けている。隣接地にできた新工場も昭和63年に同じ処分を受けているが、「移転地を探している」と是正の意思を示しているため、現状は様子見のようだ。
市への通報後に環境基準はクリアしたようだが、目と鼻の先の住民にとってはそれでも堪え難い悪臭だった。いずれにせよ、最初の行政処分から37年を経た今も変わらず新工場で業務を継続しているのだから、行政処分にどれほどの効力があるのか。
※
自宅移転の4条申請がF氏により取り下げられていたというのは、全く想像すらしないことだった。平成2年以降、たびたび「不許可」の理由を聞いてきたにも関わらず、申請者本人に事実が伏せられてきたのは何故か。
一方で、札幌市農業委員会が25年以上が経った今になって「取り下げ」を明らかにした理由も計りかねる。昨春、市農政部長と市農委事務局を長年兼務してきた三部英二氏が退職し、後任に長谷川正彦氏が就いたことで、少しは風通しが良くなったのだろうか。
写真=昭和55年当時のビニール工場。煙突から黒煙、窓から白煙が悪臭とともに流れ出ていた。